撮影旅行始末記2004
撮影旅行始末記2004
今回は合成画像はこれだけです。
車内にて

さる5月3日、房総半島にたま坊をつれて毎年恒例の撮影旅行に行きました。
今回はたま坊とともに、白妙の夜の菊姫様もご同行です。
このとき撮影した写真はこちらに展示してあります。

内房線では特急電車の車両を一定区間、普通電車として使用していているのですが、
わたしが乗車したこの電車もそのパターン。シートはゆったり、車内販売まで来る豪華な普通電車です。
君津から館山までの短い区間ですが、ホットコーヒーなぞ飲みつつ快適に過ごせました。
特急電車の車両ながら、そのあつかいは普通電車なので特急料金はかからないのですが、
一緒に乗り込んだ高校生の集団は
「大丈夫かな、お金取られるんじゃない?」と不安がっていました。

午前9時ごろ、館山駅に到着。
館山駅で天気予報の最終確認。「曇りのち時々晴れ」だそうなので、
安心して房総半島南端を目指します。

南海刀切神社・見れば明らかに竜神様を祭る神社です
南海刀切神社

海上自衛隊館山航空基地をすぎ、海岸線に沿ったをてくてく歩いていくと古めかしい神社がありました。
近づいてゆくと、かなり装飾性の高い拝殿があります。そこらじゅう彫刻とレリーフだらけ。
小さいながら歴史がありそうな神社で、えもいわれぬ迫力を感じます。


南海刀切神社・明治時代の木彫り職人のレリーフだそうです
普通は格子窓である部分に凝ったレリーフが施されています。
向かって右のこちら側は”天の岩戸”、向こう側には”ヤマタノオロチ退治”の伝説を元にした
なんともみごとなレリーフでした。
でも地元の人はこれが当たり前だと思っているんだろうな…

海南刀切神社について
http://furusato.awa.jp/modules/dbx/?op=story&storyid=379

古びた欄干が味わい深い
海南刀切神社の境内で。「撮影旅行2004」のボツカットです。

さて、刀切神社を出て、房総半島の南端目指して歩くこと数十分、
お天気下り坂、徐々に勢いを増して降り始め、霧雨がピロリン♪とランクアップ。
もはや”雨”といっても過言ではない天候になってきました。
でもまあ天気予報では晴れるっていってたし、これも一時的なもののはず、
そのうち雨もやむだろうと、道路わきの公園で雨宿りです。
雨粒って写真に写りにくいものなので、画像ではただの曇りに見えますけど、
これでもそこそこ降っています。

晴れた日はさぞ心地よい場所であろうのう
パラパラパラ…
少し向こうの岩場では、わたしと同じように天気予報を当てにして来たであろう、家族連れがちらほら。
雨だろうがなんだろうが、せっかくのGWの海を満喫しようとがんばっているようす。
まあ天気予報では晴れるっていってたから、そのうちハレル…と待つこと数十分。

しかし、いっこうにやむ気配のない雨音にふと疑念を抱いて、わたしはもう一度天気予報を聞いてみました。
するとどうでしょう!「銚子地方気象台、午後11時発表の天気予報をお知らせします」
という最新情報を告げるアナウンスに続いて、
「今日の天気は曇りのち雨」などという驚きの新事実を告げてきました。
「曇りのち時々晴れ」じゃなかったの!?
信じてたのに!朝には晴れるといっていたくせに、舌の根も乾かないうちに雨が降るよ、だなんて!
そんなのありえな〜〜い!


あまやどり
降り続く雨

というわけで今年の遠征第一回はかくも無残な結末に終わったのでした。
朝5時半に起きて、えんやらやっとここまで来たのに、ほとんど写真もとらずにとんぼ返りです。
銚子地方気象台の言葉に一喜一憂させられてしまった悔しさを胸に、
「いつか休みの日に晴れたら、あたいは必ずここに戻ってきてみせる!」と心に誓い、
帰途についたのでした。

お終い

帰ってきて調べたら、あの海南刀切神社って雨乞いの神社なんだそうで。
いやぁ、ぐーぜんぐーぜん…。

さてGWあけて次の土曜日、5月15日。晴れたぜ!
おとといくらいまでは雨か曇りの予報だったのですが、気が変わったようで快晴です。
さぁ先週と同じ場所からリスタートです。
レッツ、コンティニュー!

保田海岸・北側

…するつもりだったんですが、車窓からふと見えた美しい海岸線に心奪われ、
館山につく前にふらふらと途中下車してしまいました。
誓いは…またいつか。
ちなみに降りた駅は、「保田」というところでした。

保田海岸・南側

道端には普通に族車とかが駐車してたりする、いかにも南房な風土ですが、
風光明媚なとてもきれいなところです。
ここで降りて正解だったなぁ〜と英断を下した自分を称えつつ、いそいそと撮影に取りかかります。



なにも考えずに下車したので、ここが房総半島のどこら辺なのか、
この近くになにがあるのか、さっぱりわかりません。
せめて駅で案内板とか見てくればよかったんですが、
とりあえず海っぱたで撮影することしか考えていなかったわたしは、それすらしませんでした。
海がある、山がある、いい天気、それでいいじゃないか!
などと風来坊を気取りつつ、とりあえず撮影に没頭。



光の乱反射を押さえるPLフィルターを使えば、海と空の青がもっとはっきり出て、
花の黄色ときれいなコントラストを形成したかもしれない画像。
そういうことってあとで思いつくばかりで、現場ではなかなか思いつきません。



海辺での撮影もな〜んとなく終わってふと空を見上げると、
たなびく白い雲がまるで集中線のように、むこうの山の上の白い建物に視線を誘導します。
レタッチじゃないんですよ。
それにしても気になります。廃墟かな。
見たところ大して高くもない山みたいだし、建物に続く道もあるみたい、
まぁ、あそこまで行けても行けなくてもどっちでもいいし、道に迷ったら迷ったで
どこか別の良いところに行けてしまうかもしれないからそれでもいいや、まだ昼前で時間もあるし、
と、アバウトな考察を重ねた末、一応あそこまで行ってみることにしました。

なんとなくその白い建物に向かって道なりに進むと、「鋸山遊歩道→」なる看板が見えてきました。
のこぎりやま?

そう、わたしが目指すその山は、千葉県民ならたぶん誰でも知っている、
房総半島の有名な観光地、”鋸山”だった、のだそうです。
生粋の千葉県民なら家族旅行や遠足などで一度は来ているであろう場所なのですが、
大人になってから千葉県民になったわたしは、ここには来たことはありませんでした。
なんかすごい崖があるとか、ロープウェイがあるとか、その程度の知識があるだけです。
ここから見た限りではそんなの見えませんけど。

観光地なら登山道も整備されているだろうし、ちょっとわき道に入れば、
ひとけのない撮影フリーな、大自然に抱かれたいい場所もあるかもしれない、と
高まる期待に胸振るわせつつ、遊歩道を進みます。

しばらく緩やかな坂道を歩き、さあいよいよ山登りだゼ、
丸太で作った階段や岩の段差をウリウリ登るんだゼ、
と、ありがちな登山道の路面状況を思い描いていた私の目の前に、
石造りの立派な階段という、思いもよらぬものが見えてきました。

それを数段登ると直角に曲がり、そのあとも延々と石の階段と石畳が続いています。


整備されすぎ!これはもはや登山道ではない!
なにごとかと思いふと横を見ると、黒い石に文字を彫って作られた、
めっちゃ金のかかっていそうな案内板があり、そこにはこう書かれていました。
”ここは「日本寺」という1300年の歴史を誇る由緒あるお寺の敷地で、参拝料は600円ですよ?”
ほんとうは「聖武天皇の詔でどうこう」とか、「空海も来たことある」とか、
お寺の歴史がびっしり彫りこまれていましたが、要旨はそんなところです。

冒頭で神社レポなどやった私ですから、そのお寺にも喜び勇んで行ったのではないかと
お思いかもしれませんが、そんなことはありません。
私は神社には興味深々なのですが、お寺にはまったく関心がない人なのです。
理由は自分でもよくわかりません。でもそうなんです。
この日本寺についてもこれっぽっちも興味がわかなかったので、よけいな寄り道をしないで、
まっすぐ頂上を目指すことにしました。


剪定された潅木と、枯れ葉ひとつ落ちていない石畳。
参拝者の歩みによる傷みなどまったくない、完成してまだそれほどたっていなさそうな、
その新品同然の石段を登っていくと、枯れ葉をお掃除している人がいました。
見ればまだ二十歳そこそこの青年です。地元の若者らしく、眉が細く加工されています。
完璧に掃き清められた石畳はこの人の仕事のようです。意外とまじめな人だ〜。
「お疲れ様です」と軽く会釈して通り過ぎようと、その準備動作に移ろうとした矢先、
向こうのほうから声をかけてきました。
「日本寺のほうに行きますか?」
挨拶をされこそすれ、質問をぶつけられるとは思っていなかったわたしは、
「は?」と思わず聞き返しました。
「自分はこの先の管理事務所の者で、日本寺に行かれる方からはここで拝観料を戴くことになっているんですが」
「いえ、…お寺じゃなくて頂上に行きたいだけなんですけど」
「地獄覗きのほうですか?」
「(何だそれ…)あの、どこに行くとかよくわからないんですけど、
 なんとな〜くそこの駅で降りて、行き当たりばったりで頂上までいってみたくなっただけなんで」
”あえてなにも計画しない気楽な旅”というものを人に説明してみたところ、
なんかこう、すげー頭悪そうな旅行者みたいになってしまいました。
あれれ、おかしーな。
ていうか、頭悪い…?

とにかく。
私は、この石造りの立派な参道を歩いていけば、そのうちに拝観料を取られる日本寺方面と、
頂上に続く登山道の、2手に別れるものだと思っていたのですが、
彼の話によると、山の頂上に行くには日本寺の中を通るほかなく、
参拝料の600円を払わないと頂上へはいけませんよ、ということなのでした。
お寺とかマジで興味ないんですけど〜。
たとえ拝観が無料でもどうせ見ていかないだろうなと思いつつ、
しかし600円を惜しんで来た道を引き返すのも面白くありません。



まぁしかし、と考えます。
1300年も前からあるお寺の歴史的建造物なら、たしかに見る価値もあるかもしれません。
なんたって京都のお寺よりも古いわけじゃありませんか。
彼のいうことによれば、こちらには日本一の大仏もあるそうです。
それってあの奈良の大仏よりすごいってことですよ?
よく考えたらこの日本寺、なかなかすごそうなところです。
結局私は、彼に参拝料を払って、さらにその石段を上へ登ることにしたのでした。
その昔、僧兵が交通の要所に勝手に関所を設けて旅人から通行料を徴収していた、
という歴史の一ページがあったのを、ふっと思い浮かべてみたりしつつ、
拝観料の600円を彼に渡します。



細眉の彼が普段詰めている管理小屋の近くの観音堂。穏やかなたたずまいです。
ここも徹底してきれいに清掃されていて、彼のまじめな仕事振りがうかがわれます。
あとで知るのですが、驚くべきことにおそらくこれが、日本寺で唯一まともな仏教建築物なのでした。



せっかく拝観料を払ったのですし、この日本寺とやらも見物していくことにしたんですが、
なんといいましょうか、お金を払ったのですから、
多少の文句を言うのは許されるのではないかと思います。

ここ、お寺がありません。
昭和14年に火事を出して、お堂も仏像も全部焼けてしまったんだとか。
本堂の代わりに仮法堂という、昭和初期の駅舎のような赤いトタン屋根の建物があるだけです。
戦前の火災なのに、いまだなにも復元・復興さていません。



さらに千五百羅漢という、江戸中期に作られた石像群もあるのですが、
首が落ちてしまっているものがけっこうあります。
拝観料を払ったときにもらったパンフレットによれば
「惜しくも明治維新の廃仏毀釈以来、荒廃したままで現在にいたり」という理由だそうですが、
そこには同時に、荒廃したまま130年間ほったらかしだった、という事実をも記されているわけです。
山頂までのあらゆる順路を網羅する御影石の立派な石段や、ふもとから一気にこれるロープウェイなど、
観光客を迎える設備のみ充実し続けているのと対照的です。

さきほども書きましたが、こちらには日本一の大仏があります。
日本一の大仏って、実は日本中にあったりするんですけど、
そして今のところ最大のものは、ダイターン3と同じ身長120mの牛久阿弥陀大仏なんですけど、
それは置いておくとしても、
パンフレットによれば、こちらにある総高31メートルの日本一の大仏は、
もとは江戸中期に作られたもので、江戸末期には早くも「自然に風触」により崩落、
その後100年ほど放置されていたのを、昭和41〜44年に復元工事をして現在にいたるものだそうです。
歴史があるんだかないんだか、良くわからなくなる履歴の大仏様です。
それと個人的には、あの穏やかさにかける怖い表情は造形的にどうかと思いました。
遠目に3秒ほど大仏様を眺めて、結局そのまま頂上を目指します。
前をただ通り過ぎた、ともいいます。(笑)
撮影すらしなかったので画像ナシなのですが、どんな大仏なのか興味ある方は、
比較的大きめの画像で日本寺のいろんなところを撮影・展示している
こちらのサイトの画像をごらんになってみてください。TOPはこちら。

ニ天門・”額縁”の風景は基本ですよね

頂上に向かう階段の中腹にある”ニ天門”という、
数メートルの大岩を切り裂いて作られたトンネルのようなところ。
石像よりも、こういうところに心惹かれます。
このときは、「よくこうもきれいに岩に穴をあけるものだなぁ」と感心したんですが、
私がこのあとで見ることになる場所に比べれば、このくらいの工事はかわいいものなのでした。


延々と続く石段をほぼ休みなく登り続けます。足にかかる負荷が心地よいという段階をすぎ、
息があがってバテてきたそのとき、突然に階段が終わりました。
頂上にある展望台です。十州一望台といいます。
(厳密には鋸山の真の頂上はここより東にあるのですが、一般立ち入り禁止ということになっています)


こちらがわたしの来た保田駅のある南側。
連なる山々とそのあいだにある入り江が、まことに絶景です。
水平線の近く、一番向こうに見える陸地が、先週歩いた館山の岬です。



こちらが浜金谷駅のある北側。対岸は横須賀/久里浜。こうして見ると本当に近いですね。
北側にはロープウェイがあり、また横須賀と連絡のある東京湾フェリーの発着場もあります。
総じて、この鋸山を観光地として活用しているのは北の浜金谷側のようです。



恐ろしく切り立った崖のおかげで視界をさえぎるものもなく、とても見晴らしのよい展望台。
まさに絶壁ともいえるこの垂直の崖は、自然によるものではなく、実は人の力によるものです。

この山は房州石という石を切り出す石切り場で、昭和45年ころまでせっせと削られていた山だったのでした。
ブルドーザーで木々を倒してゴルフ場を建設している工事現場は、自然保護主義者でないわたしが見ても、
自然破壊と呼ぶにふさわしい悲しい風景なのですが、しかしこうまで見事に山を切り取られると、
むしろそういう気持ちよりも、それをなした人たちに畏怖の念が湧き上がってきます。
本当にすごいですよね。



ここで切り出された房州石は驚くべきことに、古墳時代後期に作られた北区の赤羽台古墳群、
葛飾区の柴又八幡神社古墳など、隅田川沿いの古墳に使用されているほか、
埼玉県行田市の将軍山古墳にもその使用が認められるとか。
1300年前に建立されたという日本寺よりも、歴史があるのです。
そんな昔からここでは石が切り出され、
海を渡り川を上り、各地で利用されていたのでした。

もっともそれは後でネットで調べてわかったことで、ここでこの絶壁を眺めている時には、
この石切り場のそんな歴史は知るよしもなく、ただ圧倒されているばかりでした。



あと頂上になぜか猫が〜。
観光客に餌をもらっているのでしょうか。
野良っぽくスレていない、毛並のよい美人の猫さんでした。


ちなみに北側の浜金谷側から登ってきたり、ロープウェイで来れば、
特に日本寺の造形物を見ることもなく頂上の展望台にまっすぐいけるはずなのですが、
それでも要所に関所…いや管理小屋が設けてあって、観光客が展望台に行くためには、
必ず600円の拝観料を日本寺に払わないといけないようになっています。
これはもう拝観料というより、頂上の展望台にいくための通行料といっても過言ではない感じ。
ほとんどの観光客は日本寺ではなく、頂上の展望を目的にしてこの鋸山に来るのでしょうし。

まあ、東京タワーなどのながめのいい展望台というのは、たいていお金を払って入場するものです。
ここだってごく普通に観光地然とした、ごく普通の有料の展望台といえなくもないのですが、
しかし釈然としないこともあります。
ほかの展望台と違って、ここってたぶん宗教法人の運営でしょう。
展望台の入場料としてではなく、日本寺の拝観料として徴収されたお金には、
まったく税金がかからないのではないでしょうか。
整備されるロープウェイと石畳と石段。
一方で、建て替えられない本堂やその他の仏教建築物、修復されない羅漢達。
ふもとで階段の清掃をしていた細眉の彼は僧侶ではなく、日本寺より委託を受けた業者のかたでした。
また、石切り場閉鎖の年の昭和45年は、大仏が復元された昭和44年とほぼ重なることも気になります。
同時期の昭和41年には大仏とは別に、百尺観音という、バーミヤンの石仏のような観音像も作られました。
石切り場閉鎖の直前に突然信仰心に目覚めた人がいた多数いた、という可能性もありますが、
どちらかというと、石切り場閉鎖に伴って山を観光地化するために仏教像を整備をした、という感じがします。
資料がないのでそのへんの実際の事情はわかりませんが…
なんか、宗教法人の名を借りて税金を免除されている観光施設、という
この山の別の顔が見えてくるようです。
まあいいんですけどね…

風景も満喫したし、鋸山を越えるかたちで、反対側の浜金谷方面の下山道に向かいます。
鋸山ってこの程度なんだ、と、なにやら達観したような気分で展望台を降りてゆくと、
登ってきた側とは似ても似つかぬ、驚愕の光景が待ち受けていたのであった!
我々がそこに見たものとは!?



さきほどの絶壁の下に当たる場所。
上の絶景もいいですが、ここはさらにワンダホー。
それ自体は自然物なのにもかかわらず、垂直にカットされた岩は人工的に組まれた古代遺跡の様相で、
非常に神秘的です。某大仏様よりもよほど神々しい雰囲気をかもし出しています。

光と影のコントラストがとても美しく、晴れた日に来て良かったなぁと、
私は喜びをかみしめるのでした。



ここなんかもう、もろに遺跡内部への入り口のよう。
穴の奥行きはほとんどなくて、
数メートルでおしまいなのですが、
なんかこう、奥に無限の空間が広がっているようで
ドキドキしてきます。
岩が崩れる危険性があるとかで
下には降りていけないようになっているのが
残念でした。





つた植物がいいかんじに侵食しつつある壁面。
山をカットしたすごい人々と、工事が終わるや即座に山を取り返そうとする自然。
人と自然の拮抗する力が作り出した風景です。
同時に、過去の繁栄と現在の衰退を物語る、廃墟のかもし出す魅力に似たものも漂っています。



崖の下の、常に日影の地面。しっとりとした土と苔むした石が、なんともいえないよい雰囲気です。
かなり滑るので、歩くときに油断できない危険なところでもあるのですが。
崖の下も探索し、山頂にいたときよりもさらに満足した私は、
浜金谷方面に向かって下山したのでした。



日本寺の領土を抜けるとその路面状況は石畳から一変して、よくある登山道に早変わりです。
人の歩く道はちゃんと整備されているものの、基本的にナチュラルかつワイルドなその風情。
下山の段階になって初めて、山に来たことを実感します。



上ほど急で、ふもとに行くほどなだらかになる登山道。
登ってくる人にとってはだんだんきつくなる一方の山道ということで、
つらいものがあるかもしれません。
山頂付近では、登りの人と擦れ違うたびに「あと…どのくらい…ですか」と
息も絶え絶えに聞かれたくらいです。
そんな人々に私は、にこやかに「あと少しですよ」と教えてあげるのでした。
「ずっと急な登りですけど」と付け加えることも忘れずに。(ぉ

この登山道、もともと切り出した石をトロッコに載せて降ろす為にあった道を、
近年登山道に整備したものだそうなので、そんな勾配の配分も、
トロッコをスムーズにおろす為の工夫なのでしょう。つまり下のゆるい勾配は減速部分ということです。
ほかにもこの登山道には特徴的なところがありまして、
普通の登山道は大きな岩などを避けて作られるのに対し、
この登山道では進路上の岩を避けずに、溝状にきれいに削って道をつけているのです。
下り一辺倒でなければならない為、岩を避けずにうがったのでしょうけれど、
これって石切り場ならではの発想ですね。

看板の説明によると、ふもとまで下って積み荷の石を下ろしたトロッコは、
女性の人足が担いで、また石切り場まで運んだそうです。しかも1日3往復。
…ハードですね。
岩の溝を通ったトロッコがつけたブレーキ跡がその岩肌にしっかり残されていたりて、
そんなところにも人の営みの力強さを感じさせます。



もともと低い山なので、下り始めるとすぐにふもとについてしまいます。
私が下山したのは石切り場を経由して頂上に向かう”新登山道”と呼ばれる道でしたが、
こちらの登山道はその入り口がわかりにくいためか、登ってくる人はめったにいませんでした。

このあと、道脇の小川で撮影したりしつつテレテレ歩いて、
浜金谷駅から帰途につきました。
今回の行程は山登りなんかもありましたが、先回に比べるとかなり楽で、
翌日・翌々日・さらにその次の日も筋肉痛になりませんでした。<年寄りの筋肉痛は遅れてやってくるのだ
行き当たりばったりに来たわりには、ここにしかない絶壁を見られたりして、
とりあえず成功だったかなと思います。
…でも初回は雨天中止だったので、半分成功、程度かな?

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2004年5月30日 12:59:17